20080226

音楽をことばにする

音楽の注釈に悪魔祓いを施し、述辞的な宿命から解放するチャンスは、形容詞と戦う(口に出かかるあの形容詞を実詞または動詞による遠回しないい方へ逸らす)ことによってつかめるわけではない。音楽に関する言語活動を直接変えようとするよりは、むしろ、言語に供されるような音楽的対象そのものを変えた方がいい。すなわち、音楽の知覚レベル、あるいは、その悟性作用のレベルを修正すること、音楽と言語活動との接辺を転位させることだ。(ロラン・バルト「声のきめ」『第三の意味』p.187)

音楽をことばにするのに行き詰まりを感じるのだったら、アウトプットを工夫するよりインプット時のフォーマットを考え直せば? というような話。つまらん印象批評(形容詞の羅列)しかできないのは「ボキャブラリーが貧困」なせいじゃないぜと。
「この感動」をことばにしようとすると、どうしてもある紋切り型の形容詞におちついてしまい、その結果、自分がいかにファンでそれを好きかという「愛着」のアピールを担保に「この感動」の強度を回復しようとする。でもそれってなんかつまんないし、言いたかった核心をずらしてる感じがするよな……。ちょっと前の本だけど、増田聡『聴衆をつくる——音楽批評の解体文法』はそう感じている人のための実用書と思う。上述のバルトなどをとっかかりに、「愛着のディスクール」から離れるためのヒントがいろいろある。

20080223

showstoppers

showstopper とは、芸能界では「(舞台の進行を中断させるほどの)大喝采を博する」演技や歌、歌手などを指し、コンピュータ業界では「修正しなければリリースできない不具合」を指す。要するに、観ることの快楽の絶頂と、決して人には見せられない致命的な欠陥、という正反対とも言える二つのニュアンスを持つ言葉だ。

個人的には、Busby Berkeleyの伝記が『Showstoppers』と題されているのを知って、英語には洒落た言い回しがあるんだなあと感心したのが最初だった。「あまりに盛り上がりすぎて場が止まってしまう」という、この「最高」と「台無し」の両方が入っている感じ、人間的な努力や理解を積み重ねて「構築」したものがスキを見せる、その瞬間こそが最高なのだという感覚は、なにか娯楽というものの究極を捉えている気がするし、そういう概念をshowstopperと一言に圧縮して言い切る感じもまたよい。

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長らくBiglobeのサーバで運営していた「omo*8」の日記部門をこちらに移転します。これを機に、上述のタイトルをつけてみました。今後ともよろしくおねがいします。