文中で「今、渋谷で一番のヒーロー」と讃えている盟友・須永氏を含む参加者を「お調子者」とまで呼んだ理由はわかりませんが、太田コーナーなきあとのHMV渋谷の終了に思い入れや感慨がないというのはそのとおりなのだろうなとは思います。
フリッパーズ・ギターが登場して90年代の渋谷はブームになった
小西康陽/ミュージシャン
(『Weekly ぴあ 臨時増刊』2003年6月10日号、pp.204-205)
レコードを買うために毎週通っていた唯一の街
90年代の渋谷って言うと、ピチカート・ファイヴの思い出と重なるところが多いかな。'90年が田島(貴男)くんで野宮(真貴)さんが入ったのが'91 年だし。その頃は“渋谷系”前夜で。田島君と前に話したことあるんだけど、やっぱりフリッパーズ・ギターが登場したのが“渋谷系”的には大きかったんじゃないかな。彼らが出てきてから状況が大きく変わったと思う。でも“渋谷系”って、HMV [1] の太田さんが作ってくれたムーブメントだと思う。太田さんが店にいた頃までのムーブメントだよね。すごくお世話になりました。
あとはレコード屋さんのことしか覚えてない。僕、渋谷に限らず海外でも、どこへ行ってもほとんどレコード屋さんしか行かないから。でも渋谷へはレコード毎週買いに行ってたから、スタジオの外だと、渋谷で過ごしてる時間が一番長いはず(笑)。
そう、90年代ってほとんどスタジオの中にいたなあ。東急文化村の地下のスタジオはよく使いましたよ。渋谷って、大人になってから入りづらくなった店が多いんだけど、文化村は例外ですね。
渋谷のレコード屋さんでいろんな仲間と知り合った
90年代前半は、シスコとWAVEでハウスの新譜ばっか買ってた。同時にニュースクールも凄く聴いてた。僕が始めてDJをレギュラーではじめたのがDJ BAR INKSTICK [2] で、当時そこでYOU THE ROCK★やベン(・ザ・エース)さんがいて、ベンさんにもヒップホップのレコードいろいろ教えてもらったな。レコード屋さんでもいろんな人と知り合いになった。ZEST [3] に行ったのも小沢健二くんに連れて行ってもらったのが最初。DMRで偶然会って、もう一軒行きませんかって誘われて。
90年代の半ば以降、渋谷って大きく変わった気がする。いわゆる廃盤の“ネタ屋さん”が急速に増えて。DMR [4] とMr. Bongo [5] は高かったけどいいレコードいっぱいあったんだよね。橋本(徹)さんも買いましたよって言われて、ちくしょうじゃあ、と思って買ったレコードもあったな(笑)。新譜はドラムンベースばっか買ってた。90年代後半はビッグビート。HOT WAXも必ず寄ってた。
'97年以降、Organ Bar [6] でDJするようになってからは家にいるよりやたらクラブにいる時間が長くなった(笑)。(須永)辰緒さんとはたぶんお互いにすごく影響を受け合ってると思う。
レコード屋さん以外って、だからあんまり覚えてない(笑)。打ち合わせでよく使ったユーハイムとジャーマンベーカリー [7] 、ロシア料理のロゴスキー、東急本店のタントタントはよく行きましたね。
[1] HMV
カリスマ・バイヤー、太田浩氏のいた「渋谷系」ムーブメント発信基地。ピチカート・ファイヴもインストア・イベントやってました。
[2] DJ BAR INKSTICK
90年代初めに人気を博し、“水商売系”とは違った独自のクラブ・カルチャーを生んだ店。フリー・ソウル〜サバービア系の拠点だったことでも有名。渋谷系のメッカとも言われた。
[3] ZEST
仲真史、カジヒデキ、梶本聡、小野田雄、イナズマKなど、現在各方面で活躍している人がスタッフで関わっていた、もしくは今現在もいるレコード・ショップ。もちろんDJ、アーティスト御用達。
[4] DMR
その名の通り(ダンス・ミュージック・レコード)クラブ・ミュージックの新譜専門店。90年代には中古のレア盤も扱っていた。
[5] Mr. Bongo
ロンドンのソーホー地区にあるDJ御用達レコード・ショップの東京支店。長谷川賢司、DJ ALEXなどがスタッフで働いていた。
[6] Organ Bar
「今、渋谷で一番のヒーローは辰緒さん」と小西さんも語る、「レコード番長」こと須永辰緒が最近までプロデュースしていたクラブ。渋谷で数少ない大人が遊べる場所。「“音楽”が聴ける呑み処(笑)。何とも言えない空間ですよね」。
[7] ジャーマンベーカリー
「よく打ち合わせで使った。田島くんがやめるって話も野宮さんが入るって話をしたのも、ここ。関係ないけど文化会館って、昔『大正テレビ寄席』の収録やってたんだよね」