20080321

P.R.O.M. #31



今週末23日の日曜日は恒例のP.R.O.M.。よろしくおねがいします。
ロックを中心にいろいろ。フリーペーパー『P.R.O.M. mag』#5(通算6号目)も配布の予定。
P.R.O.M. #31
サイト:http://prom.rickdom.com/
mixi内:http://c.mixi.jp/prom/

3月23日(日曜) 18:00〜23:00 
@三軒茶屋Chrome http://chrome.shine.jp/
DJ:tag,junne,omo*8
1500円 w/1d

20080318

チェルフィッチュ『フリータイム』

チェルフィッチュの新作を日曜日にSuperDeluxeにて鑑賞。前作『エンジョイ』のチラシにあった岡田利規本人による素晴らしい惹句が、時間差で形になったような作品だと思った。
彼らがそして私たちが置かれている、このような社会条件下であっても、彼らはそして私たちは、なんであれ与えられた生を楽しんでよいし、楽しんでるその仕方を肯定してよい。その仕方を矮小と感じてしまうことなく楽しみ続けることが難しく思われるときがたとえあったとしても、「楽しんでいる」と明言してよい。

そして年長フリーター問題を正面から扱った『エンジョイ』は、切実ではあったけど、エンジョイの肯定ができていたわけではなかったように、いまは思える。

『フリータイム』は、就業前の30分をファミレスで落書きしながらだらだらする「自分だけの自由時間」と決めている派遣社員の女の子と、ウェイトレスの西藤さんという子の、潜在的な連帯を描いたプロレタリア演劇(!)、だと思う。「このまま1時間でも2時間でも居座って、しれっとした顔で遅刻してってても、じつは何も言われないんじゃないか」「むしろ、そういう時間って大事だよね、って奨励されたりするんじゃないか」……むろん、彼女が意図的に遅刻する日は来ないだろう。でも自ら由る(自分で使い方を決める)30分があればやっていける。

チェルフィッチュを観に行くのは、自分たちの生活についてちょっと突っ込んだ話を聞きにいく、という感じに近い。戦争と性と自意識の問題が入った『三月の5日間』はキャッチーだったけど、むしろ港北ニュータウンで子どもを作ろうかどうかと悩んでる若夫婦の話だった『ポスト*労苦の終わり』『目的地』の濃密な地味さをこそ我がことのように見てしまったし、年長フリーターや派遣社員が日々の不安を吐露する『エンジョイ』にも涙した。どれもこれも、30がらみの自分たちの小心な暮らしが驚くほど克明に(つまり忘れてしまうような細部までが)描かれていると感じられるし、そのこと自体に希望をもらえるという感じがする。

例によって、一つの役を複数人でリレーしていくような独得の脚本・演出。これによって、かえって友達の駄話を聴かされるときと同じような熱心さと気散じの同居した状態で耳を傾けることができるんだから妙なものだ。「こういう話があって」と出来事について語るスタイルと、役になりきって再現的に演じるスタイルとを自在に行き来する、洋風に言えばブレヒトとスタニスラフスキーの止揚、和風に言えば「落語っぽい」手法。チェルフィッチュというとこの形式的な特殊さが注目されがちだけど(そしてそれは相変わらず面白いけど)、それも上述のような「話の内容」に専念できる状態を作り出すかぎりにおいて賞賛されるべきな気がする。

上演では、ウェイトレス西藤さん役の安藤真理がよかったのと、派遣社員女子役をほぼ2人1役で演じたチェルフィッチュの看板女優・山崎ルキノと初登場の伊東沙保の対称がきいてた。特に2幕に入って、それまで関係なく進んでいた複数の流れにメタレベルで注釈がはじまり、ウェイトレスが女子に「遅刻しても実は結構大丈夫じゃないですか」とか話しかけはじめるのはかなり感動させられた。想像上ではあれ、働く者同士が同じ気持ちを共有し連帯を果たした感があって。またそのときの女子役が(いかにもマイペースを崩さずかっこいい山崎ルキノではなく)窮屈そうな伊東沙保で、「はいっ、はいっ」といかにもかしこまった受け答えをしている感じもよかった。店員なんかにいきなり話しかけられたらそうなるに決まっているからで、でもそこになにがしかの心の交流はある、というか。さらにその直後、たぶん現実の二人にとって唯一の会話であった注文取りのマニュアルトークを、山縣太一と足立智充が「泥水飲んだことありますか」とかいってバカバカしく変奏しはじめるに及んでは、けっこうストレートな社会派ぶりに胸を熱くさせられた。

まあそういう熱さも、彼ら独得の、俳優たちが終始その場で言葉を選びながら話している感じ(に見せて全部脚本)という温度の低い語りがあって成り立つというか。勇ましい抵抗のスローガンが政治的なわけじゃないよな、というか。と思って帰りにパンフレット買って岡田利規のインタビューを読んだら、あまりに的確にそのことを解説していて、始まる前に読まなくて本当に良かったと思った。ある種のネタバレだ、あれは。

20080315

計画するということの新しいかたち

カラダカフェ  からだをとりまくかたち

手塚夏子 × 中山英之(建築家)

http://natsukote-info.blogspot.com/

日時|2008年3月15日(土)14:30開店 15:00スタート
場所|門仲天井ホール

建築家の中山英之さんからお知らせをいただいたトークショー、直前(本日)となってしまいしかも自分が行けないことが判明し申し訳ないのだけど、面白そうなので告知。以下、主催のダンサー・手塚夏子さんによる紹介。「必然的で自然に感じる、当たり前に受け入れられるような空間を見いだすために、膨大な試行錯誤を乗り越えて現実の形を立ち上げるという中山氏。その根底には関わりに対する繊細な感覚があるのではないだろうか?私が現在取り組んでいる「関わり」の観察と重なり、深い興味を駆り立てられます。」

  ★  ★  ★

総集編20世紀建築の巨匠 (エクスナレッジムック X-Knowledge HOME特別編集 No.)紹介文を読む感じでは、去年X-Knowledge HOMEのムック『総集編20世紀建築の巨匠』で中山さんがやられていたチェルフィッチュの岡田利規インタビューに近い内容なのかもしれない。中山さんがチェルフィッチュの芝居をご覧になったのは、ありがたいことに当サイトの記事がきっかけだったそうで、そこで僕は「事前の精緻なデザインの介在が見えるのが面白い」みたいなことを書いたのだった(050320 (Sun))。

インタビューで中山さんは、事前の「計画」とそこで実際活動する人の「出来事」との関係に敏感な建築家の立場から発言されている。二人に共通するのは、事前に人間の反応を逐一説明できるような「駅前整備計画」的な建築には傲慢さを感じている、という点で、そうではない「計画」のかたちがチェルフィッチュにはありますねという話をそこではしている。

岡田 例えば、こういうせりふをしゃべるということだったり、それに合わせてこう移動するってことを計画するということに関して言えば、僕はデザインしてるんだけど、俳優のしぐさみたいな動きに関しては、僕は動きそのものはほとんどデザインしていなくて、じゃあ何をデザインしてるのかというと、その関係性なんです。その言葉をしゃべるときに、どういう意識の状態であるか、どういうイメージがあるかというのはデザインする。でもその結果として、俳優の身体がある動きをするにいたるわけだけど、その最終形には手を付けていない。最終形にまで手を付けると、結局、パフォーマンスの質が落ちてしまうんですよ。どうしてかと言うと、何はさておきある動きが行われればそれで素晴らしいということはあまりなくて、どういう状態でその人間が動くか、フォルムよりもフォルムを介してその動機が見えるかどうか、それがパフォーマンスの強さを決める。フォルムというのは、フォルムを通してそれを見せるためにあるものでしかなくて、フォルム、外観にこだわると、質は遠ざかる。
(略)
中山 なぜ観客のことを聞いたかというと、どうも役者に指示を出して演技を促すときに、最後のフォルムに至るまでの、その降ろしていき方というか、そういった部分を、稽古や本番中を通じて、ずーっとイメージさせることをかなり厳しく強いている、それが観客席の側から見てもわかる。でも、それをつくっているときには、人に見られてるからこうしようというふうな演出の仕方というよりは、やっぱり、脚本があって、それをフォルムにする過程に自分たちはどういう関わり方ができるのか、そういうことについて一生懸命考えているという感じがすごくして。
岡田 ああ、それはおっしゃる通りだと思いますね。
中山 フォルムだけでも十分面白くできているところがすごいと思うんですけど、そのフォルムになるまでの降ろし方、計画するということの新しいかたちを見た感じなんです。

  ★  ★  ★

上演中のチェルフィッチュ新作『フリータイム』、僕は明日の回を観に行く予定。

20080301

ピンク・フラミンゴが無修正になる日

旧ヘラルドが買ったまま公開されぬままになってたジョン・ウォーターズ先生の最新作『ア・ダーティ・シェイム』がDVDスルーながら発売決定。まずはめでたい。
これは「頭をぶつけると淫乱化する」というほんとにどうしようもない設定でわいわいやってる、それだけでも最高に楽しい映画なんだけど、そこにJW秘蔵の下ネタオールディーズかかりまくり、頭をぶつけるたびに古いエロ映画のフッテージがカットアップされまくり、と師匠のお洒落さ・趣味のよさもいつになく全開ですばらしい。

で、発売元のサイトには何気なくこんな告知も。
※■世界一悪趣味な映画監督ジョン・ウォーターズによる世界一お下劣な作品が、日本一露骨なバージョンで同日発売決定! 
『ピンク・フラミンゴ 無修正特別版』 デックスエンタテインメントよりセル&レンタル、同時リリース!

ついに「無修正」? デックスエンタテインメントのサイトにはまだ情報なし。Amazonには『ピンク・フラミンゴ ノーカット特別版』のタイトルで出ているが詳細不明。

問題になりそうな箇所を順番に挙げてみる。
  1. 露出狂デヴィッド・ロカリーのちんこぶらーり
  2. ディヴァインが「実の息子」に与えるフェラチオ
  3. ディヴァイン一味のホームパーティでの肛門開け閉めダンス
3.は『ピンク・フラミンゴ』といえば真っ先に問題になりそうなシーンだが、現在はビデ倫基準でもアヌス解禁だったはずなのでふつうにOKだろう。2000年代を通していわゆるインディーズAV(ビデ倫以外の機関での審査タイトル)で薄消し・アヌス丸見え傾向が激しくなり、ビデ倫もこれに押される形で、2006年8月審査タイトルからはアヌスもモザイク対象外にしてきたという。
1.は七面鳥の首がくくりつけてあり(どんなだよ)性器露出が中途半端なため、もしかするとOK。
2.が微妙だが、アヘアヘ言ってる割にはペニスが屹立してない(泣)ので「アート」枠でOK、かも。
となるとたしかに日本版・完全無修正ピンク・フラミンゴは、合法的に発売できるのかもしれない。

なんてことだ。JWの愛した、恥ずかしい場所をボカシで執拗にマーキングしつづける「世界一DIRTYなヴァージョン」が絶滅の危機にひんしている……ビデ倫がんばれ!

今朝のニュースはそんな我々にとって朗報かもしれない。

わいせつDVDに審査甘く…「ビデ倫」幹部を逮捕

ア・ダーティ・シェイム US公開バージョン ピンク・フラミンゴ ノーカット特別版