20080315

計画するということの新しいかたち

カラダカフェ  からだをとりまくかたち

手塚夏子 × 中山英之(建築家)

http://natsukote-info.blogspot.com/

日時|2008年3月15日(土)14:30開店 15:00スタート
場所|門仲天井ホール

建築家の中山英之さんからお知らせをいただいたトークショー、直前(本日)となってしまいしかも自分が行けないことが判明し申し訳ないのだけど、面白そうなので告知。以下、主催のダンサー・手塚夏子さんによる紹介。「必然的で自然に感じる、当たり前に受け入れられるような空間を見いだすために、膨大な試行錯誤を乗り越えて現実の形を立ち上げるという中山氏。その根底には関わりに対する繊細な感覚があるのではないだろうか?私が現在取り組んでいる「関わり」の観察と重なり、深い興味を駆り立てられます。」

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総集編20世紀建築の巨匠 (エクスナレッジムック X-Knowledge HOME特別編集 No.)紹介文を読む感じでは、去年X-Knowledge HOMEのムック『総集編20世紀建築の巨匠』で中山さんがやられていたチェルフィッチュの岡田利規インタビューに近い内容なのかもしれない。中山さんがチェルフィッチュの芝居をご覧になったのは、ありがたいことに当サイトの記事がきっかけだったそうで、そこで僕は「事前の精緻なデザインの介在が見えるのが面白い」みたいなことを書いたのだった(050320 (Sun))。

インタビューで中山さんは、事前の「計画」とそこで実際活動する人の「出来事」との関係に敏感な建築家の立場から発言されている。二人に共通するのは、事前に人間の反応を逐一説明できるような「駅前整備計画」的な建築には傲慢さを感じている、という点で、そうではない「計画」のかたちがチェルフィッチュにはありますねという話をそこではしている。

岡田 例えば、こういうせりふをしゃべるということだったり、それに合わせてこう移動するってことを計画するということに関して言えば、僕はデザインしてるんだけど、俳優のしぐさみたいな動きに関しては、僕は動きそのものはほとんどデザインしていなくて、じゃあ何をデザインしてるのかというと、その関係性なんです。その言葉をしゃべるときに、どういう意識の状態であるか、どういうイメージがあるかというのはデザインする。でもその結果として、俳優の身体がある動きをするにいたるわけだけど、その最終形には手を付けていない。最終形にまで手を付けると、結局、パフォーマンスの質が落ちてしまうんですよ。どうしてかと言うと、何はさておきある動きが行われればそれで素晴らしいということはあまりなくて、どういう状態でその人間が動くか、フォルムよりもフォルムを介してその動機が見えるかどうか、それがパフォーマンスの強さを決める。フォルムというのは、フォルムを通してそれを見せるためにあるものでしかなくて、フォルム、外観にこだわると、質は遠ざかる。
(略)
中山 なぜ観客のことを聞いたかというと、どうも役者に指示を出して演技を促すときに、最後のフォルムに至るまでの、その降ろしていき方というか、そういった部分を、稽古や本番中を通じて、ずーっとイメージさせることをかなり厳しく強いている、それが観客席の側から見てもわかる。でも、それをつくっているときには、人に見られてるからこうしようというふうな演出の仕方というよりは、やっぱり、脚本があって、それをフォルムにする過程に自分たちはどういう関わり方ができるのか、そういうことについて一生懸命考えているという感じがすごくして。
岡田 ああ、それはおっしゃる通りだと思いますね。
中山 フォルムだけでも十分面白くできているところがすごいと思うんですけど、そのフォルムになるまでの降ろし方、計画するということの新しいかたちを見た感じなんです。

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上演中のチェルフィッチュ新作『フリータイム』、僕は明日の回を観に行く予定。